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時代小説に夢中

信長暗殺に散る五人の刺客の物語「弾正の鷹」山本兼一著

利休にたずねよ」で直木賞を受賞した、山本兼一さんの時代小説を久しぶりに読んだ。

山本兼一さんの時代小説は面白い。まだ未読の楽しみにしている作品はとってあるので、今回は五編の短編集を手に取ってみた。

「下針(さげばり)」の主人公は、紀州雑賀党の鉄砲名手・鈴木源八郎。

「ふたつ玉」の主人公は、甲賀の鉄砲名手・善住坊。

「弾正の鷹」の主人公は、信長に父を処刑された桔梗。

「安土の草」の主人公は、甲斐の忍び庄九郎。

「俱尺羅(くしら)」の主人公は、将軍足利義昭から信長毒殺を命じられた遊女の俱尺羅。

五編ともに、男女の愛情が絡んでいる。

タイトルにもなっている「弾正の鷹」は、美しい桔梗が年月をかけて鷹匠になっていくプロセスは興味深かった。

信長は暗殺されていないので、当然すべて失敗に終わり、哀しい最期が痛々しい。

面白いのでさらっと読めてしまうが、やはり長編でないと物足りなさが残る。

 

 

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河津桜の本場、河津と熱海への弾丸旅

河津桜の本場、伊豆河津

色が濃いのですねぇ、美しい

念願の河津桜が観られて感動

河津桜と菜の花と電車のコントラストが素敵

見頃の週末だったので、人出は多かったです。

それでも、河津桜並木がとても長いので存分に鑑賞できました。

埼玉から電車を乗り継いで、約3時間半。

河津桜はずっと気になってはいたものの、遠いので諦めていましたが、本当にきれいでした。

河津桜祭りは2/29までです。

 

www.kawazu-onsen.com

 

河津桜並木から徒歩15分ほどのところにある川津来宮神社までてくてく。

写真を撮ろうとしゃがみこんだら、番犬君が寄ってきた

めずらしい親子?の狛犬

樹齢千年以上のご神木「来宮様の大クス」は国の天然記念物

驚くほどの巨木。

大きさがわかるように人を入れてみました。

 

 

お昼ごはんは熱海へ戻って、地元ならではを味わいに。

 

熱海駅近くの「まぐろや」さん

昭和チックで良い雰囲気です。

金目鯛の煮つけにお刺身の定食が1100円!

ここも人気で行列でしたが、待つ甲斐がある定食は是非食べてみてほしい。

お味噌汁は写真ではわからないけれど、アラ汁です。

 

そして次はMOA美術館。

スケールの大きな美術館

熱海湾が一望できる景色

一木造(いちぼくづくり)の仏像

2月は、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」が展示されています。

写真撮り放題というのが、太っ腹。

 

 

熱海は再び人気を集めている観光地ということは聞いていたけれど、若いカップルも多く賑わっていました。

食べ物も美味しいし、温泉も自然もあって大満足の旅となりました。

 

 

今日の歩数:13000歩

 

MOA美術館

「戦の国」を読んで、家康嫌いが確定した

家康ファンの方がいらしたら、すみません。

 

初の作家さんだった冲方丁さんの「戦の国」、とても面白かった。

 

戦国、動乱の55年を駆け抜けた、織田信長上杉謙信明智光秀大谷吉継小早川秀秋豊臣秀頼ら六傑の視点から描く、連作短編集。

どの武将も、これまでとは違った視点で、そうかそうだったのか!と説得力があって、ぐいぐい引き込まれた。

脇役的な存在として知っていた、「大谷吉継」、「小早川秀秋」、「豊臣秀頼」が特に素晴らしかった。

女優の芦田愛菜ちゃんが、一番好きな武将は「大谷吉継」と言うが、何を読んでそう思ったのか。もしかしたら、この「戦の国」の大谷吉継を読んだのではないか。それにしても一番好きな武将が「大谷吉継」だなんて流石だなぁ、芦田愛菜ちゃん。

苦楽を共にした石田三成を、家康と争わせないために何度も説得にあたった。戦友であるからこそ、三成を良く知る大谷吉継は、争えば三成は死ぬと確信していた。「誰が貴様についてくるというのだ」と迫るが、結局、関ケ原へと向かうことになる。病身でありながら、負けるとわかりながら、三成に付いて行き、美しく散っていく。その三成は、ただただ、秀吉が築いた天下を、家康の私利私欲に蝕まれてはならんという思いだけであった。

 

小早川秀秋」は秀吉の養子でありながら、関ケ原で家康に寝返ったことで有名。けれど、秀秋の視点でのお話はあるのだろうか、とても共感できて今までの良くないイメージがすっかり取り払われてしまった。

慶長二年(1597年)、16歳で初陣となる秀秋に、総大将として朝鮮への渡海命令が下される。秀秋は幼少で秀吉の養子となり、寄る辺ないまま何者にもなれず過ごしていた日々を、遠く置き捨てて、朝鮮という地で生まれて初めて自分の力で思う存分、走り抜けることができたのである。この地では、日本人は誰もが異邦人で、自分がそうだったように、ここでは日本人であるというだけで、強い結びつきを感じられた。

そして関ケ原。いろんな思惑や周囲の力関係についても詳細に秀秋の視点で書かれている。秀秋の兵1万五千が欲しい家康を、秀秋は信じて東軍につくことになる。

西軍が押していたはずの戦いが、秀秋の一万五千によって一瞬にして東軍優位に変貌し、西軍は総崩れとなる。

家康は、秀吉の嫡子である「秀頼を守るため」と心にもないことを掲げて、秀吉方の武将たちを味方につけて「関ヶ原合戦」を準備していた。

利用するだけ利用して、加藤清正福島正則も毒殺される。そして関ケ原の後、秀秋は恩賞によって岡山で思いのままに藩政を行っていたが、慶長七年(1602年)に毒殺されてしまった。

そして「豊臣秀頼」については、2022年に「火の国の城」でも書いているが、今回の冲方丁さんのは良かった。タイトルは”黄金児”で、慶長五年(1600年)、数えで8歳から大坂夏の陣で自害する23歳までを秀頼の視点で書かれている。

歴史は勝者が作ると言われているが、「豊臣秀頼」を見事に表現してくれた。

自害した秀頼の骸はついに見つけることはできなかった。

余談であるが、

1980年、大坂城三ノ丸跡の発掘調査で人1人の頭蓋骨と別に首のない2人の骨、馬1頭の頭の骨が発見された。骨は人為的に埋葬されたものとみられ、頭蓋骨は20代男性のもので顎に介錯されたとみられる傷や、左耳に障害があった可能性が確認され、年齢や骨から類推する体格から秀頼のものではないかと推測された。骨は1983年、京都の清凉寺に埋葬された。wikipedia

よくぞ、よくぞ、最後に残った28人の者たち、隠してくれて、ありがとう。

そして、秀頼の妻である千姫は、家康の孫で政略的な婚姻であった。しかし大阪城を脱出した千姫は、秀頼からの書を家康に渡し、秀頼の死を慎み、秀頼は神となり、家康は地に落ちたことを思い知る。

嫌われて当然の家康であったのだ。

 

大坂の陣と言えば、日ノ本一の兵(つわもの)と称えられ、伝説となった真田信繁(幸村)。真田太平記全12巻を読み始めたものの、読み終わってしまうのが勿体なくて4巻を読み終えて止まっている。

 

本書は短編物なのでとても読みやすく面白い。是非読んでみてください。

 

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東京国立博物館と、梅を求めて文京区を散策

建立900年 特別展「中尊寺金色堂」開催中の東京国立博物館

9:30開館に合わせて9:15頃に到着したけれど、かなりの行列でした。

中尊寺金色堂」人気ですね。

観たかったのですが、義経ファンの私としては、やはり平泉へ行って観てこなくちゃと思い直して本館を見学。

 

エントランスから2階を見上げると重厚さが漂っている

お初の東京国立博物館

建物も展示品もすばらしく、1日では見きれません。午前中の半日で本館の2階だけしか観ることができませんでした。

「鳳輦(ほうれん)」は天皇行幸に際して座乗した専用の乗物

孝明天皇安政2年(1855)に新造内裏(現在の京都御所)に遷幸する際に用いられ、また明治天皇の東京行幸の際にも用いられたものを明治39年(1906)に宮内省式部職より引き継ぎました。2階 日本美術の流れ

 

酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治した源頼光とその配下

 

浮世絵:歌川広重の江戸百景

これぞ、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えたという、広重ぶるうのグラデーション。

 

同じく広重の江戸百景:湯島天神からの景色

これも、広重ぶるうが見事です。

そして、同じ場所を観てみようと、湯島天神へ。

 

ほぼこの辺のはずだけれど、マンションで不忍池は見えません

春日局之像

湯島天神へ歩いていくと右側に「春日局」の像が見えました。

菩提寺、麟祥(りんしょう)院の前に立つ春日局の像は、女優の大原麗子さんが主演を務めた平成元年のNHK大河ドラマ春日局」を記念して設置されたそうです。

 

湯島天満宮

R6年3月8日~4月8日まで「梅まつり」が開催されています。

綺麗に咲いていた梅を撮り忘れてしまいました。

 

時節柄、合格祈願のお参りで長蛇の列でした(ここは本殿ではありません)

 

次は小石川後楽園までてくてく

水戸黄門ゆかりの小石川後楽園の案内図

小石川後楽園は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が築造し、2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園です。公園について

 

公園内の梅林にメジロが!(上1/3くらいの中央に)

「円月鏡」水面に映る形が満月のように見えることからつけられた名称

「得仁堂(とくじんどう)」

光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、「仁を行い得た人たち」を祀る得仁堂を建立し、伯夷・叔齊の木像を納め参詣したそうです。

 

「内庭」ビルや東京ドームに囲まれていることを忘れるのどかさ

昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝として国の文化財に指定されています。特別史跡特別名勝の重複指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮恩賜庭園と当園の二つだけで、全国でも9か所だけです。この公園について

 

今日の歩数:21000歩

 

www.tnm.jp

 

www.yushimatenjin.or.jp

 

www.tokyo-park.or.jp

 

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偕楽園で早咲きの梅と、茨城県近代美術館を堪能

偕楽園の梅

日本三名園である、水戸の偕楽園で梅を鑑賞してきました。

まだ咲き初めなので、人も少なくゆったり観賞できて散策三昧でした。

2/10から3/17まで梅まつり。

 

偕楽園内の好文亭の2階から

偕楽園は、江戸時代に水戸藩9代藩主の徳川斉昭(なりあき)によって造園されたそうです。

そして偕楽園内にある好文亭は、徳川斉昭公が、ここに文人墨客や家臣・領民を招き、養老の会や詩歌の会を催しました。

残念なことに、昭和20年の空襲で焼失し、昭和30年から3年の期間を費やして復元されたものです。

ちなみに、徳川斉昭は江戸最後の将軍、徳川慶喜の実父。

 

斉昭が京都から移植した、孟宗竹林

偕楽園は初めてでしたが、梅だけではなく見どころがたくさんありました。

 

常盤神社~水戸光圀公と徳川斉昭を祀る神社

 

そして、偕楽園から近くの近代美術館へ

 

茨城県近代美術館

入ると、いきなりホールにいくつかの彫刻があって、順番に観ていったら・・

あれ?なんか見覚えのある感じの彫刻がある。

作家をみて目が点に。

オーギュスト・ロダンの彫刻!

 

何の囲いもなく手で触れられるところに、ロダンの彫刻が

思わず学芸員さんに「本物ですか?」と聞いてしまいました。

まさか、ここでロダンの彫刻に会えるなんて思ってもみなかったので、テンションがかなり上がって大満足でした。

 

お昼ごはんは、美術館内のカフェ&レストラン「プティ・ポワル」で

 

ポークフィレ肉のソテー ポメリー粒マスタード風味プレート

 

ibaraki-kairakuen.jp

 

www.modernart.museum.ibk.ed.jp

池浪正太郎の「西郷隆盛」を読んで、明治維新の真相がわかった

鹿児島、錦江湾に浮かぶ桜島

池波正太郎は、エッセイ以外はほぼ読みつくしてしまったと思っていたら、読んでいない本があった。

しかも、気になっていた「西郷隆盛」だ。

幕末ものをいくつも読んできて、西郷隆盛明治維新の立役者の一人のはずなのに、どうして日本最後の戦争となった西南戦争で、政府軍と戦って死ななければいけなかったのか。謎だった。

それが、すごく良く分かった。

解説で、常盤新平さんも言っている。

私などは上野の銅像しか知らないといっていいのであるが、本書によって西郷のみならず明治維新の革命の真相を理解できたと思う。

池波正太郎は取材に取材を重ねたうえで、自分の思いが溢れているから、真実を知るだけではなく感情移入してしてしまって、あっという間に読めてしまう。

 

何という事を。

何て言う人を失ってしまったのか。

 

勝海舟は、

「西郷は、みずから育てた子弟と情死をしたのさ。西郷さんは、あのような場合には知恵の出てこぬ人だった。」

福沢諭吉は、

「西郷あわれむべし。西郷をやむなく死地へとおとしいれたのは政府である。」

 

西郷隆盛という人物は、動乱期の立役者になろうとか、最後まで生き残って出世をしようとか、名誉を得ようとか、そんな気持ちがみじんもない。事に当たって計算をしない。自分が死んでも、これだけはやるべきだと考えたら、いささかのためらいもなく死地へ飛び込んでしまう。(本書より)

また、あの会津落城の折に、西郷隆盛は「会津を粗末にあつこうちゃならぬ」と、みずから東北へ赴き終戦処理に当たった。それまで官軍の略奪と暴行にまかせていた東北地方が、西郷があらわれたとたんに官軍の軍記は整い、静粛となったという。

維新戦争が終わって、西郷は「わしゃ政治には向かぬ。若いものを育てて国の役にたつような人びとをつくりあげる」と鹿児島へ帰ってしまう。

新政府は、廃藩置県のために諸国諸藩を説きふせるには「どうあっても西郷さんに出てもらわなくては」と、岩倉具視大久保利通、木戸、川村、山県らが鹿児島まで頼みに行くのだ。そして廃藩置県は成功する。

 

そんな西郷隆盛が、なぜ西南戦争になり、死ななければいけなかったのか、泣けてくる。それが今の日本に繋がってるように思う。

池波正太郎は、西郷のような政治家が日本をおさめるようになれば、何もいうことはないのであると述べている。

 

こころが美しい人間は、どうしてむくわれないのか

 

救われたのは、西郷の庶子・菊次郎が重症の身で軍列についていたが、西郷の老僕が菊次郎を背負い、政府軍の西郷従道(西郷の弟)のもとへ投降したのだ。弟の西郷従道は「ようもはからってくれたな」と喜び、のちに京都市長になったという。

 

ja.wikipedia.org

 

 

私にとって初の時代小説作家、辻堂 魁さんの「仕舞屋侍」を読んだ

 

主人公は、かつて御小人目付(おこびとめつけ)として剣と隠密探索の達人だった九十九九十郎(つくもくじゅうろう)。ある事情で職を辞して、「仕舞屋」と称して事件のもみ消し屋を営んでいる。歳は50代だろうか、江戸時代ではおじいさんと呼ばれる頃合い。

 

imidas.jp

 

徳間文庫のために書き下ろされ、その後シリーズ化され4巻出ているが途中で止まっているようす。

ある日、父母を失ったという「七(しち)」と名乗る童女が、賄の職を求めて現れ、強引に九十九九十郎の家事仕事をするようになる。剣の腕がたつという噂を聞いて、いつか敵討ちをするために、侍の家に奉公をしようとする料理の上手な七。九十九九十郎はある事件の謎を追いながら、七の作る上手い料理に追い出すことができなくなる。

熊谷達也さん、百田尚樹さんの時代小説を読んだときに感じた、江戸時代のセリフの硬さとかはなく、「面白いかも」と途中まで読み進んだ。そうそう、チャンバラの場面も良かった。

設定も面白く、主人公も魅力的なんだけど、何というか無理がある感じ。事件を追っていくと「ん?それはちょっと・・」と、のめり込めなくなる所が気になった。

池波正太郎を読んでいなかったら、続きを読んだかもしれなかったなぁ、残念。