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時代小説に夢中

映画「ジョン・レノン失われた週末」を観て、なぜ今、公開なのか

新宿シネマカリテにて鑑賞

2024年5月10日(金)から公開している「ジョン・レノン失われた週末」。

レビューが気になって急に観たくなった。

上映している映画館が限られているので、仕事を半日でしまい行きやすい映画館をさがして観てきた。

観終わってすぐに立てなかった。

 

ネタバレありです。

 

失われた週末とは、ヨーコと別居していた18か月間のことだ。

失われた、その週末の期間を、ジョンはどうしていたのか。

私たちが知っているジョン・レノンは、ヨーコを介してのジョン・レノンだった。

映画「ジョン・レノン失われた週末」は、失われた週末の18か月間を一緒に過ごしていたメイ・パンによる自伝的作品となっている。

メイ・パンは70年12月からジョンとヨーコの個人秘書として働いていた。

 

73年9月、ヨーコから別居を言い渡されたジョンが、メイ・パンとともにヨーコのもとを離れたとたん、ミュージシャン仲間がジョンの元を訪れるようになる。74年3月には、ポールとリンダが会いにやってきて、居合わせたメンバーとジャム・セッションをしている貴重な映像を目にすることが出来た。

4月1日、メイ・パンが撮影した、ビートルズ解散後唯一のジョンとポールのツーショット写真は、プールサイドでリラックスした2人が会話している。

18か月間の貴重な映像や写真と、ジョンが描いたメイ・パンとの愛のイラストは、知らなかったジョン・レノンに出会えてうれしかった。

 

そして、メイ・パンと別れることなく、ずっと一緒にいたなら、ジョンはもしかしたら・・と思わざるをえない映画になっていた。

 

でも、冷静に考えて調べてみると。

ジョン・レノンは、凶弾に倒れる前に、あるインタビューで発言している。

「世界は狂人によって支配されている。」

「僕がそれを暴露すれば、狂人扱いされて消されるだろう」

この発言のあとにジョンはいなくなってしまった。

 

ジョンの名言たち

  • 自分の心は自分でめんどう見なきゃ。かわりなんか誰もつとめちゃくれないよ。
  • 幸せになることに躊躇してはいけない。
  • 結局、あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい。
  • 愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
  • 僕がこれまでどうやってきたかは教えられるけど、君がこれからどうするかは自分で考えなきゃ。

 

mimosafilms.com

 

司馬遼太郎「歴史を紀行する」を読んで、関ケ原が現代に繋がっているということ

司馬さんの「街道をゆく」が面白かった。

司馬さんに興味をもち、図書館で司馬さんのコーナーを見ていて、何となく目にとまったのが「歴史を紀行する」。

借りて読んでみたら、またまた面白かった。

目からうろこの歴史の流れ、知らなかった人物との遭遇。

<あらすじ>

幕末ー松陰を筆頭に過激につっ走った長州。西郷、大久保と大人の智恵を発揮した薩摩。容保を頂点とした会津の滅びの美学ーー危機の時ほど、その人間の特質が明瞭に現れる時はない。風土と人物との関わりあい、その秘密、ひいては日本人の原形質を探るため、日本史上に名を留める各地を歴訪し司馬史観を駆使して語る歴史紀行

本書は「街道をゆく」シリーズの原型となった本のようです。

高知、会津若松、滋賀、佐賀、鹿児島、京都、萩、三河、盛岡、岡山、金沢、大阪の12ヶ所を訪ねて語る、司馬史観に魅了されます。

気になったところを少し残します。

竜馬と酒と黒潮と[高知]

土佐は国税庁の統計では酒の一人あたりの消費量が日本一で、酔っぱらっての刃傷沙汰の件数も日本一であるという。これは土佐人にとって恥ずべきことであるか。土佐にあっては、ある者が泥酔のあまり自動車にひかれて死んだとしたら、他の土地ならば、だから言わぬことじゃない、とうとうざまを見たかという反応になる。しかし、土佐では、よくやった、とまでは思わぬにしても、その非業の者に対して好感を持ち、そこまで飲んだか、痛烈なことよ、というような、リングの上で死んだ拳闘選手をたたえるような感動を持つ。土佐人が他の日本人ときわだってちがうところは、かれらの意識をどういう暗い課題が通過しても、出てくる瞬間には化学反応をおこしたようにあかるくなっていることである。

司馬さんは、土佐的性格と思考法と行動が、幕末以降の日本人の歴史に大きく投影し、影響した、土佐人という、日本人の中ではきわだった一代表を不足なく書きつくすには数冊分の本が必要であると言っている。

 

会津人の維新の傷あと[会津若松

会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。三百近い藩のなかで肥前佐賀藩とともに藩士の教育水準がもっとも高く、さらに武勇の点では佐賀をはるかに抜き、薩摩藩とならんで江戸期を通じての二大強藩とされ、さらに藩士の制度という人間秩序をみがきあげたその光沢の美しさにいたってはどの藩も会津におよばず、この藩の藩士秩序そのものが芸術品とすらおもえるほどなのである。

司馬さんは、なぜ、こういう藩ができたのか。と、ひも解いてゆく。

私は一時、会津藩に興味を持つようになり幕末に関する本を読むようになったことがあった。司馬さんが本書で「純粋な、あまりに純粋な」と書いているように、会津藩への想いが強くなり読まずにいられなくなったのである。そして、会津藩主の松平容保よ、京都守護職をどうして断らなかったのだ、藩士たち、藩士の家族たちを守ることは藩主として立派なことじゃないのか、という思いでいた。

それについて司馬さんは、「幕末ぎりぎりの段階において革命勢力の標的にされたこの藩は、みずからこの死地にとびこんだのではなかったのである。」と。「われわれ史書を読む者はこの事を濃厚に記憶してやるやさしさをもたねばならない。」と教えてくれている。

そして、何冊も読んで、松平容保という藩主について、あまりにも若かったからか、優柔不断だったからなのか、自分なりに想像して謎だったことが、衝撃的な史実を司馬さんが書いていた。(時代小説はたくさん読んでも歴史に無知な私が知らなかっただけのような気がします)

時は遡って幕末から200年以上前、徳川二代将軍秀忠の時代。

秀忠は側室をもたなかった唯一の将軍だと言われている。それが、たった1度だけ、乳母の侍女と例外があったのだ。そして、そのたった1回が男児を設けてしまった。正室を恐れていた秀忠は、すぐに江戸から母子を離し、遠方へやり生涯会わなかったという。その公認されなかった公子の子孫は、松平姓を名乗ることになる・・

そうか、そうだったのか!歴史のなんということよ。

司馬さんは、もし秀忠が生涯に1度の浮気をしなかったならば、会津松平家は日本史に存在しなかっただろうと言っている。

 

体制の中の反骨精神[佐賀]

佐賀藩は、「葉隠れ」で有名であるが、勉学好きといわれていた。ペリーが来た頃、三百諸侯が大名行列を組んで東海道を上下しているころ、精錬方が反射炉を作って自力で製鉄し、洋式鉄砲を製造し、化学工場では火薬を製造し、造船所までつくり国産の蒸気船をつくったという。

当時、日本のいわゆる三百諸藩というのはねむっているのも同然であった。薩長土の志士は京で政論をたたかわせ、その他の諸藩の藩主も藩士も江戸泰平のころの延長で茶のみばなしにあけくれし、大阪の町人は商利の追及のみに日夜を過ごし、諸国の百姓は上古以来のすがたで土を掘りかえしていたときに、ひとり佐賀藩のみが覚醒し藩士の子弟たちは発狂者が出るほどに勉強させられ、領内の百姓は艦隊や千門以上の火砲をつくるための重税にあえぎつつ草もはえぬといわれるほどの苛烈な労働生活を強いられていた。明治の日本は、こういう佐賀人の血汗の上に多くの基礎を置いていることを想うべきであろう。

隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」を読んでから佐賀藩の”葉隠れ”を知り、現代ではあまり目立たない佐賀県に興味を持つようになった。はなわさんが佐賀県アピールの自虐的歌を作っているので、佐賀県知名度はアップしているかもしれない。けれど、こうして歴史的にみると風土的気質というものがとても面白い。

revivel.hatenablog.jp

 

維新の起爆力・長州の遺恨[萩」

長州藩藩士は、代々足を江戸にむけて寝る」という話が、真偽はべつとして幕末から維新にかけて流布されたが、封建時代というものはそういうものであった。怨みもまた食録ととともに世襲するものなのである。家康はあきらかに毛利氏処分において失敗した。潰しておくべきであった。

当初はつぶす決定であったという。しかし、毛利家の分家である吉川氏(のちの岩国藩主)の当主広家が、関ケ原で徳川に内通し、毛利の軍勢をうごけないようにしたという、家康に対し功績があるため自己を犠牲にして弁護し、家康は温情をかけたという。そして、広家がもらうはずだった、防長二州が与えられ長州藩が誕生した。

長州藩は下関海峡で外国船を無差別砲撃する。しかし、逆襲されこてんぱんにされたことで、西洋文明の威力を身をもって知ることになる。そして高杉晋作は、親代々の高禄である正規武士は戦場の役に立たないとし、有志者を募り騎兵隊を組織したという。

司馬さんは「このときこそ明治維新というものの内臓が天日にさらけだされたときであろう」と言っている。また、「ひとつは関ケ原の戦後処分の怨恨が温存されつづけていたため、幕府に対し復讐感情、とまでいかなくても、武士らしい感傷をもつ必要がなかったということが大きいであろう」と。

 

「歴史を紀行する」を読んでいくと、関ケ原の戦いがどこまでも繋がっていることがわかる。紹介しきれなかった、”郷土閥を作らぬ南部気質[盛岡」”では、大正十二年の原敬の暗殺事件にまで繋がっていて空恐ろしくなる。

そしてまた妄想が膨らむ。

秀頼が秀吉のあとを継げていたら・・世の中はどうなっていただろう・・

人として立派な、大谷吉継加藤清正、真田親子らが周りを固めて・・

なんてことを空想してしまう。

 

あとがきで司馬さんは、「風土などあてにならない」と言ってのけてます。

出身地について通説になっていることほど、こっけいなことはないと。

しかし、

個々のばあいはまことに微量でしかない粒子が、大集団をなしたときに蒸れてにおいでてしまっているものがここでいう風土であるかもしれない。

残念ながら私の出身地、栃木県はなんというか、箸にも棒にもかからないというか、歴史的にも地味で目立たない。司馬さんに書いてくれとお願いしたら、とても困るのではないかと思う。

他、残り8つの項目は以下です。

  • 近江商人を創った血の秘密[滋賀]
  • 加賀百万石の長いねむり[金沢]
  • ”好いても惚れぬ”権力の貸座敷[京都]
  • 独立王国薩摩の外交感覚[鹿児島]
  • 桃太郎の末裔たちの国[岡山]
  • 郷土閥を作らぬ南部気質[盛岡]
  • 忘れられた徳川家のふるさと[三河
  • 政権を亡ぼす宿命の都[大阪]

どこも非常に興味深く、おすすめです。

 

 

 

関東平野を一望する筑波山に登頂してきた

日本百名山:新緑の筑波山

5月11日(土)の好天の日、筑波山に登頂してきました。

男体山と女体山の2つの峰を持ち、信仰の山として栄えてきました。
日本百名山」にも数えられ、標高877mで一番の低い山であり、また、ケーブルカー・ロープウェイが整備され山頂までのアクセスもよく、登山初心者から山頂を目指すことができます。山頂からの眺望は関東平野を一望できる抜群の景色です。

ttca.jp

 

ケーブルカーの窓口はけっこうな人出でした

つつじヶ丘駐車場からケーブルカーで女体山駅まで行きます。

 

 

ケーブルカーを降りたら山頂まで、てくてく。

 

4~5歳くらいの小さな子どもも歩いていました

筑波山の奇石、ガマ石

その昔、永井兵助が「ガマの油売り口上」を考え出した場所といわれていることからこの名がつきました。

 

あまりの人で、行きかうのを待つ所もありました

百名山筑波山の山頂までもう少し

人が多くて、降りて来てくれないと上がれない人気。

関東平野が一望できる筑波山の山頂から

写真ではわからないけれど、うっすら富士山の冠雪が見えました。

コースはいくつもあるので、初心者でも自分に合ったコースで楽しめます。

私は簡単なコースだったので、普通のスニーカーに動きやすい服装でも登れました。

それでも「はあはあ」してきつく感じたので、杖やトレッキングポールがあると楽だと思います。

 

眩しいほどの新緑に心が洗われます

次はケーブルカーに乗って、筑波山神社へ向かいます。

ケーブルカー

 

約3千年の歴史を有する古社、筑波山神社

www.tsukubasanjinja.jp

 

狛犬さん

好きな雰囲気ただよう、随神門(市指定文化財

八脚楼門(間口五間二尺 奥行三間)
寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進
宝暦4年(1757)焼失 再建
明和4年(1767)再び焼失
文化8年(1811)再建 県内随一の規模。

 

御神木

後ろに見える「杉本屋」さんの、焦がしキャラメルソフトクリームが美味しかった!

有名なガマの油・・

カエル好きの私、また増えました

さて、温泉とお昼ご飯へ向かいます。

筑波山からほど近い、やさと温泉 ゆりの郷。

 

本日の煮魚定食は、ガシラの煮つけ

海なし県在住の私は、ガシラなんて高級魚めったに食べられないので感激。

ご飯も美味しく平らげてしまいました。

体を動かした後の温泉に、美味しいお料理に大満足。

休憩室で横になっていたら寝てしまいました。

 

機会があったら、筑波山の登頂、ぜひお試しください。

 

今日の歩数:11000歩

 

www.yurinosato.jp

 

前田慶次郎の物語、隆慶一郎の「一夢庵風流記」は面白すぎる

隆慶一郎は、また凄いヒーローを私たちのもとに登場させてくれた。

実在した人物、前田慶次郎の物語。

今ではこの名前はかなり知られている。

それは隆慶一郎の「一夢庵風流記」を原作とした、原哲夫による漫画「花の慶次」の影響であろう。

 

文庫本裏表紙のあらすじ

戦国末期、天下の傾奇者として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬りこんでいく剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。...

 

あとがきで隆慶一郎が書いている。

敗者の記録は勝者によって消され、あるいは書き変えられるのが歴史の常である。だから敗者に属して、しかも僅かでも名を残す者は人並みはずれてすぐれた人間に限る。前田慶次郎はその数少ない男の一人だった。

なぜ知名度が低いのか。

それは、いつでも負ける側に属するという性癖の持主なのだ。真田親子を思い出す。力を持っているものに属さず、好きな人間に属したい。

勝つ側に味方するなんて薄みっともないことなぞ、男として出来るわけがないという慶次郎だ。

そのうえ、慶次郎は剛毅ないくさ人でありながら、学識溢れる風流人で、しかも優しく、自由に生き抜いた一匹狼であった。

だから、慶次郎の命を狙っていた忍びや刺客までも、慶次郎の魅力にいつのまにか無二の部下になっていく。

 

時代は豊臣秀吉から徳川家康に移り変わる戦国末期。

慶次郎は、豊臣秀吉の命で朝鮮出兵に先立ち、朝鮮へ渡り朝鮮の状況を見てきているのだ。

表には出ないところで、慶次郎は、豊臣秀吉石田三成前田利家、無二の親友の直江兼続など歴史上の重要な人物を救っていた。

豊臣秀吉の失敗は朝鮮出兵だと他の本でも読み、私としては、母親、弟、鶴松(長子)を続けて亡くしたことで自暴自棄になっていたのではないかと想像していた。

それを、なんと慶次郎が理由を述べていた。

はぁ、そうか、なるほど・・と納得してしまった。

そして、「無茶苦茶で馬鹿馬鹿しいかもしれないが、心の熱さに免じて許すことが出来るではないか。」と慶次郎は思っていたのだ。

なんか分かる、まったく隙のない計算ずくめの家康より、人間らしい秀吉に好感が持ててしまう。

 

それから、野生馬であった漆黒の巨大な松風との出会いが良い。

「俺みたいな男も、お前みたいな馬も、そうそう生きちゃいけないよ。いずれ鉛弾丸をくらって死ぬのさ」

「どうせ死ぬなら、俺と一緒に死んでみないか」

何日も山で待ち、何度も振り落とされ、野生馬の松風を口説き落とした。

何人がかりで抑えつけても、慶次郎以外の人間は誰も乗せない松風。

 

時代背景や史実の描写も丁寧で、歴史上の人物たちの違う視点からの描写に、新たな一面が見れたり、とにかく面白かった。

慶次郎と松風の戦いっぷりも、強過ぎて爽快で清々しくていう事なし。

 

こんな素晴らしい人物が歴史上に実在したという事実に興奮が冷めやらず。

 

本当に、読んでみてほしい1冊でした。

 

 

埼玉県内最大のバラ園で5000株のバラを堪能

埼玉県伊那町のバラ祭り

県内最大のバラ園がある埼玉県伊那町

大宮駅からニューシャトルに乗って終点の内宿駅から徒歩10分。

ニューシャトルは新幹線高架軌道の張り出し部分を活用して、大宮と内宿(伊奈町)の間12.7kmを走っています。

大宮から一駅目には「鉄道博物館駅」もあって、賑わっています。

ニューシャトル

第1バラ園から第3バラ園まであります

第1バラ園だけでも見きれないほどたくさんのバラが咲きほこっていました。

 

 

 

ヨハネパウロ2世(強香)2006年 アメリ

このバラは、強香とだけあってとても香るのだけれど、果物のライチの香りで思わず食べてしまいたくなるくらいでした。

400種5000株、本当にすばらしいバラの数々でした。

是非是非訪れてみてください。

「2024バラ祭り」

【期間】令和6年5月3日(金)から5月31日(金)

【開園時間】午前9時~午後6時まで

バラ園案内図

 

ランチは予定していたカフェがお休みだったので、大宮まで戻って「そごう大宮」のレストランフロアまでてくてく。

GWなので、どこもいっぱい。

以前入って美味しかった、ベトナムレストラン「ジャスミンパレス」。

ランチメニューも豊富で美味しい

ベトナムコーヒー

底に練乳が入っていて、淹れ終わったらかき混ぜて頂きます。

通常はブラックでしか飲まないコーヒーだけれど、なぜか美味しく頂けます。

 

大宮でお食事に迷ったら、おススメです。

www.stc-sunrise.co.jp

 

午後は「埼玉県立 歴史と民族の博物館」へ向かいます。

東武アーバンパークラインで、大宮駅から二駅の大宮公園駅下車、徒歩5分です。

でも、そごうから徒歩で30分くらい、てくてく行きます。

氷川神社の参道、大宮公園を抜けると駅周辺の人込みや喧騒がウソのようなパワースポットなので、歩かないともったいない。

 

氷川神社近く

 

5/6まで特別展

レトロな看板がうれしい

埼玉県指定文化財の木造十二神将の子神像

戦国時代の鉢形城にまつわる文化財をたくさん観ることができました。

なかでも、大好きな真田昌幸が使っていたという刀にお目見え出来たのは驚きでした。

鉢形城の城主、北条氏邦の家臣が、真田昌幸が城主だった名胡桃城を攻めたために、秀吉によって鉢形城は開城になったということでした。

ここで真田昌幸との繫がりに出会えて感動でした。

 

「埼玉県立 歴史と民族の博物館」は、常設展も旧石器時代から現代までを1~10室の展示室で紹介しているので、かなり見応えがあります。

大宮観光にもおススメです。

saitama-rekimin.spec.ed.jp

 

今日の歩数:25000歩

 

埼玉県の金鑚神社は、日本に3つだけ、ご神体が山のパワースポット

金鑚神社(かなさなじんじゃ)の鳥居の先に駐車場があります

金鑚神社は、埼玉県北西部に立つ御嶽山(みたけさん)の麓に鎮座し、標高300メートルほどの御室山(みむろやま)をご神体としている。

拝殿だけで本殿は無く、原始信仰の形を今に残している。

古くは自然環境を神体としていたものが、時代と共に本殿や諸々が建つようになり商業化しているというようなことが、司馬遼太郎の「街道をゆく」にあった。

たまたまSNSを見ていたら、日本に3つしかない、山がご神体の神社の一つが埼玉県にあるというので驚いた。

同じように歴史ある神社は、ほかに長野県の諏訪大社奈良県大神神社(おおみわじんじゃ)の2つのみ。

参道の脇に立つ「多宝塔」は、国の重要文化財

厳かな拝殿入り口

拝殿

主祭神
天照大神 (あまてらすおおみかみ)

素戔嗚尊 (すさのおのみこと)

配祀神
日本武尊 (やまとたけるのみこと)

金鑚神社の創始は「景行天皇41年(111)に日本武尊が東国遠征の折に、倭姫命より授けられた草薙剣とともに携えてきた 火鑽金(火打金)を御霊代として山中に納めて、天照皇太神と素戔嗚尊の二柱の神を祀ったことによる」と伝えられている。(歴史)

 

さあ、これから山を登っていきます。

30分ほどだけれど、けっこうキツイという口コミがあったので、それなりの準備で出かけてきましたよ。

杖が置いてあったのでお借りしました

少し登っていくと、可愛らしい日本武尊が待っていた

さらに登ると、牛若丸も待っていた

この辺はまだまだ楽勝でした

はあはあ言いながらも、山の気、木々の気、鳥のさえずりに囲まれて、自然のパワーが助けてくれます。

特別天然記念物の「鏡岩」

神社から約400メートルほど登った御嶽山の中腹に、幅5メートル 高さ9メートルの平らな岩肌がみられる。 紅鉄変岩スレ肌という およそ9000万年前の岩断層活動の跡で、断層面が出来るときに強い摩擦力で 岩面が鏡のように磨き上げられた 貴重な地質学資料である。昭和31年(1956)に国の特別天然記念物に指定された。

その昔、高崎城が落城した時に、火災の炎が岩面に映ったと言われているそうです。

 

まるで、ロッククライミングのような所を登ります

こんな山肌を登るのは人生初の経験でした。

 

この先は見晴台。

写真では伝わりきらない絶景!

反対側は関東平野が一望できる。

見事としか言えない、観る価値のある絶景でした。

山頂へはこんな凄い所を登ります

ここはもう、杖は使えなくて、ロープにつかまって登るしかない山道。

いよいよ山頂へ。

神聖なご神体の山頂にたどり着いた

山頂にあるのはこれだけで、景色も見えないけれど、神様の山に登ったのは初めての経験でした。

GWでも人は少なかったので、自分のペースでゆっくり登れます。

近くには温泉施設もあるので、是非挑戦してみてください。

 

www.kanasana.jp

 

関東有数の名湯、白寿の湯

汗を流した後は、食事処「寝かせ玄米と糀料理 俵や」でランチ。

1番人気の俵屋ご膳

甘酒のシェイク

ofurocafe-hakujyu.com

 

帰りには国営の森林公園へ寄り道

ネモフィラが見頃に

ルピナス

今は、ポピーやネモフィラが見ごろです。

国営武蔵丘陵森林公園

今日の歩数:20000歩

 

栃木県おすすめパワースポットと観光:2日目

箒川と七つ岩吊橋

塩原にある「七つ岩吊橋」は、吊橋でもしっかりした造りで揺れることはないので怖くはないです。

一級河川の箒川の水が綺麗。

 

無料で渡り放題です

吊橋からの景色も素晴らしい。

駐車場には無料の足湯もあります。

 

nasushiobara.kokosil.net

 

次は、七つ岩吊橋から車で5分ほど

 

頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋 鍾乳洞」

 

源有綱系図

チケットを購入すると、まず源有綱(ありつな)の解説を聞かせてくれます。

そのおじさまのお話が、面白いのなんのって。

話し方が上手なのと、ウイットにも富んでいて、その上歴史のお勉強にもなって聞きほれてしまいました。

クライマックスには思わずうるうるするくらいで、もう一度聞きたいくらい。

 

鍾乳洞の入り口

この洞窟に隠れ住んでいた源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。

塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。

再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。

 

米のとぎ汁で見つかってしまう

洞窟内で発見された鎧冑

併設の武具資料館では、安土桃山時代からの武具150点が見学できます。

 

戊辰戦争で使われたという大砲

新政府軍が会津城の城壁を破壊するのに使われたそうだ。

意外なところで貴重なお宝に山ほど会えました。

歴史好きにはたまらない場所です。

 

genzankutsu.com

 

そして、厳三窟からすぐ近くにある源氏に関係のある場所へ。

大同2年(807)創建の塩原八幡宮

康平元年(1058)に源頼義・義家親子により再興され、その後、塩原城主、宇都宮城主の庇護を受け今日に至るそうです。

源有綱の神社もありました。

 

本殿と勇ましいお顔の狛犬さん

御神木:推定樹齢1500年の逆杉(さかさすぎ)

巨木に圧倒されます。

清らかな空気と自然のパワーで癒されました。

 

最後のパワースポットはちょっと足を延ばして、鹿沼市の古峯ヶ原(こぶがはら)へ向かいます。

 

大きな大きな一の鳥居

一の鳥居を抜けると現れた、美しい山桜

埼玉ではとうに終わってしまったので、この時期に桜が観れて嬉しい。

 

古峯神社に到着

変わった姿をした狛犬さん

彫刻が素晴らしい

1300年の歴史ある神社で、ご祭神は日本武尊ヤマトタケルノミコト)。

ご祭神のお使いが天狗で、別名「天狗の社」とも呼ばれている。

神社内のいたるところに天狗がいます。

 

www.furumine-jinjya.jp

 

古峯神社の庭園『古峯園』(こほうえん)入り口

入り口を入ってすぐの景色

この庭園は、昭和の東京を代表する作庭家・岩城亘太郎による作庭だそうです。

 

 

 

 

矢印の先の、ウニの子どもみたいなものは何?

楓の樹の下にたくさん落ちていた、何ものか。

iPhoneで撮って調べてみると、「虫」の判定w

 

oniwa.garden

 

栃木出身の私ですが、行ったことのない所ばかりでした。

自然のパワーをたくさんもらって、美味しいものを頂いて、また1か月お仕事がんばれそうです。

ゴールデンウィークのお出かけ情報のお役に立てますように。