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時代小説に夢中

司馬遼太郎の「街道をゆく 1」は日本の歴史を歩ける面白さ

 

司馬遼太郎さんが、街道を歩きながら歴史を教えてくれる楽しい1冊でした。

と言っても、初めて聞く、目にする、日本語も多く、立ち止まることはたびたびあるのだけれど。

第一巻の大見出しは

  • 湖西(こせい)のみち
  • 竹内(たけのうち)街道
  • 甲州街道
  • 葛城(かつらぎ)みち
  • 長州路

【湖西のみち】は、「日本人はどこから来たのか」ということで、若狭湾から京や奈良へゆくための、外来人や外来文化の流入路であったということ。そして、平安初期には盛んに、日本へ国使が来ていたようで、満州辺りにあったという「渤海国」は、日本は兄上ですと慕っていたという。

私にとっては「渤海国」が初耳だったので、面白くて仕方がない。ところがその「渤海国」は200年余りで滅んで、国際感覚に乏しい日本は滅んだことも知らずにいたようである。

 

竹内街道】も面白いお話がたくさん出てくるが、小見出しの「布留(ふる)の里」では神様についてちょっと。今でいう天理から入る、山辺の丘陵地帯の高台の森を古い地名では「布留」という。2世紀~3世紀にかけて存在した、崇神(すじん)天皇の大和の王朝時代には、森そのものが神であり、社殿も拝殿もなく、本殿はあくまでも「地面」であり続けた。しかし、明治以後、国家神道という官僚神道が、拝殿と本殿をつくりあげてしまったそうだ。

子どもの頃は親類のあった奈良で良く過ごしたという司馬さんは、本書を執筆していた昭和46年にすでに奈良の変わりようを嘆いている。「この日本でももっとも汚らしい県の一つになってしまった風景」と言っている。

 

偶然、つい最近インスタグラムで流れてきた奈良の画像に驚愕した。

目を疑う画像は、最後に載せておきます。

 

甲州街道】では、家康が落武者500人を「八王子千人同心」という、特殊な徳川直臣団として組み入れたお話とか、慶喜のお話とか。

 

【葛城のみち】では、大和の葛城山麓一帯に住んでいた「鴨族」という種族がいて、鴨の語源は神だそうだ。その鴨族出身の役小角(えんのおぬず)は、神に仕えるよりも仏の世界に入り修行をした。そして「もはやわしは仏教を得た。」と神々をドレイのようにこきつかったという。人間が一言主神を封じてしまったというのだから驚く。

 

【長州路】はこれまた面白いお話が盛りだくさんだ。まず家康嫌いの私が喜んだ話から。家康は死ぬ前に、「三河のころの制度を変えるな」と遺言し、それを天下統治の法制的原理として据えこんだ。世界史的に言えば航海商業時代の隆盛期に入っていたのに、徳川家一軒をまもるために、日本を孤立せしめ、農民の原理で縛り上げた。密告を奨励し、間諜網を張り、日本人の性格を矮小化したと、司馬さんは言ってのけてくれた。他には、山口に首都を置いた理由や、小京都ができた理由なども興味深かった。そして司馬さんは長州が好きなんだろうなと思える、長州人についてのお話しが面白い。幕末に池田屋事変で沖田総司とたたかって死んだ、長州の若者の「吉田稔麿」が好きだという。絶望的な状況にある池田屋にとびこんで、自分の春秋を自分で捨てた「吉田稔麿」を「走れメロス」に例え、9頁にわたって書いている。

 

時代小説とは違った面白さでした。

自分が産まれた日本について知らないことだらけで、楽しくて仕方がない。

ぜんぶ行ってみたくなる。

これ以上変わってしまう前に、少しずつ足を運べますように。

 

 

 

 

護国神社前池中古墳を囲んだソーラーパネル

グーグルマップで確認したら、本当にこの通りでした。

なぜわざわざここに?

誰かが儲けてるの?

 

 

古き良き日本はどこへいく

町田駅、駒込駅周辺を散策

町田国際版画美術館

広重の浮世絵に会いに行ったのですが、今は展示されていなかった。

3/10までは特集展示として、「黒崎彰 50年の軌跡」の版画が無料で観られます。

 

浮世絵の技術を活かした木版画作品「近江八景」より瀬田の夕照

「万葉」より雪の佐保/光明皇后

hanga-museum.jp

 

広重を諦めて、ランチへてくてく。

パッタイ(海老入りタイ風焼ビーフン)とココナツジュース

グリーンカレーが美味しいみたい。

 

maipenrai.jp

 

電車で駒込駅へ向かいます。

 

訪れてみたかった六義園

公園内に居ると、都内にいることを忘れます

 

www.tokyo-park.or.jp

 

次はすぐお隣までてくてく

 

一度行ってみたかった、東洋文庫ミュージアム

 

東洋文庫は、広くアジア全域の歴史と文化に関する東洋学の専門図書館ならびに研究所です。約90年に及ぶ歴史を有するアジア最大の東洋学センターであり、国際的にも世界5指の1つに数えられています。東洋文庫について

 

モリソン書庫

東洋文庫の数あるコレクションのなかで最も有名なのがモリソンコレクションです。1917年、東洋文庫の創設者、岩崎久彌は北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士から東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子等約2万4千点をまとめて購入しました。それから一世紀の時間が流れた今ここにその貴重なコレクションがよみがえりました。モリソン書庫

 

そして併設のオリエント・カフェさんでティータイム

 

中庭を目の前に一息

www.koiwaifarmdining.co.jp

 

今日の歩数:18000歩

 

茨城県おすすめパワースポットと観光2日目

牛久大仏(地上120m、世界一の大仏様)

牛久大仏、ご覧になった事あるでしょうか。

初めてお会いしたのですが、あまりの巨大さに声が出ますよ。

そして美しい慈悲深いお顔、まなざしに、なんでしょうね、感動して目から雫が落ちそうになって危うかったです。

そして、単に牛久市の観光呼び物くらいかと思っていたら違ってました。

浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の公園墓地になっているのですね。

真下から

エレベーターでお胸のところまで胎内に入れます。

いろいろ見どころはありますが、中にいると大仏様の中って忘れてしまいますね。

 

かなり遠くから、その大きさに驚きます

まだお会いしてない方、ぜひぜひ一度ご覧になってください。

 

daibutu.net

 

順番は牛久大仏が最後だったのですが、インパクトのある牛久大仏を先にしました。

 

息栖(いきす)神社

息栖神社は鹿島神宮香取神宮と共に東国三社の一つと称され、上下の信仰の篤い神社であります。主神である久那斗神は古く国史にも見え、厄除招福・交通守護の神であり、井戸の神でもあります。息栖神社:ご由緒

男瓶(おがめ)の中心にある銚子の形が見えると幸運らしい

土器の形をしている女瓶(めがめ)

神社の管理をしているおじ様が、いろいろ教えてくださいました。

忍潮井は194年に造られ、両瓶とも1000年以上もの間、清水を湧き出し続けてきたとされています。辺り一面が海水におおわれており、真水(淡水)の水脈を発見し噴出させたところ、辺りの海水を押しのけて真水が湧出したことから、忍潮井の名がつけられました。息栖神社:ご由緒

 

神様の通り道

利根川沿いの水門に向かって右側に立つと、一の鳥居から二の鳥居、神門、社殿まで見通せる、神様の通り道だと教えてくれました。

すぐそこは利根川

幸運をもたらす、オガタマの木

なんと一円玉に描かれている木が「オガタマ」の木だったのです。
一円玉にも意味があったのですね。

 

樹齢千年のご神木

ikisujinja.com

 

次はちょっと変わった、大杉神社。

鳥居の両脇にいるはずの狛犬さんが・・天狗さんのお顔のようです

ここで度肝をぬかれ

 

豪華絢爛なおトイレ、金魚の間

金ぴかのおトイレに驚かされ・・

由緒はあるようなのですが、ウケ狙い?と思ってしまうような造りでした。

 

辰年なのでね、ありがたや

時代を感じさせる神楽殿にホッとした

日本唯一の「夢結び大明神」だそうです。

oosugi-jinja.or.jp

 

お昼ごはんは、手打ち10割蕎麦の成田・虎智庵(なりた・こちあん)さん。

普通のお宅のような店構え

野菜天せいろ

10割ですが、のど越しの良いお蕎麦で美味しかった!

食品のなかで「そば」だけに含まれる特有の栄養成分が「ルチン」です。 この成分は、毛細血管の働きを整え、血行を促進し、高血圧の抑制などに効果があるといわれています。 そして、疲労回復に効果があるビタミンB1、B2やタンパク質が豊富。蕎麦の栄養価まとめ

 

cochian.com

 

今日の歩数:12500歩

茨城県おすすめパワースポットと観光1日目

鹿島神宮内にある、神秘的な御手洗池

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。鹿島神宮:境内案内

 

1日目は、筑波実験植物園に寄ってから鹿島神宮へ。

 

温室の見頃1位は、世界最大級の「花」ショクダイオオコンニャク

ショクダイオオコンニャクの花は枯れてしまって実の状態です。

結実・種子発芽が日本初の快挙だそうです。

tbg.kahaku.go.jp

 

国立科学博物館が植物の研究を推進するために設置した機関です。およそ14ヘクタールの敷地には、日本に生育する代表的な植物をはじめ、世界の熱帯や乾燥地に生育する植物、私たちの生命(いのち)を支える植物、筑波山で見られる植物など、7000種類を超える植物が植栽され、3000種類をご覧になることができます。筑波実験植物園

 

次は鹿島神宮の近くでお昼ご飯。

はまぐりラーメンと焼きはまぐり

はまぐりラーメン、はまぐりのお出汁が良く出て美味しかった。

 

鹿島神宮、大鳥居

令和の大改修ということで、現在は楼門が修理中でした。

鹿島神宮は、古文書では神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられています。近代まで「神宮」と呼ばれていたのは、伊勢神宮香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみで、由緒と歴史の長さでは別格の存在。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。

奥参道

奥宮に向かって300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。5月1日には流鏑馬神事が執り行われます。鹿島神宮:境内案内

 

摂社(主祭神と関係の深い神様を祀っている) 奥宮

現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。鹿島神宮:境内案内

 

次はホテルの近くにある白鳥の里へ。

潮来の白鳥の里

すごい野鳥の数。白鳥は2羽でした。

白いのが、ゆりかもめ
黒いのが、オオバン
茶は、オナガガモ

 

鳥好きの私は、間近に鳥と触れ合えてテンションがかなり上がりました。

 

そして夜ご飯が素晴らしかった。

亀の井ホテルのディナー(ほかに、アワビの酒蒸し、ビーフシチュー)

どれも一つ一つすべて美味しくて、感動的なお食事でした。

おススメです!

 

今日の歩数:13000歩

 

信長暗殺に散る五人の刺客の物語「弾正の鷹」山本兼一著

利休にたずねよ」で直木賞を受賞した、山本兼一さんの時代小説を久しぶりに読んだ。

山本兼一さんの時代小説は面白い。まだ未読の楽しみにしている作品はとってあるので、今回は五編の短編集を手に取ってみた。

「下針(さげばり)」の主人公は、紀州雑賀党の鉄砲名手・鈴木源八郎。

「ふたつ玉」の主人公は、甲賀の鉄砲名手・善住坊。

「弾正の鷹」の主人公は、信長に父を処刑された桔梗。

「安土の草」の主人公は、甲斐の忍び庄九郎。

「俱尺羅(くしら)」の主人公は、将軍足利義昭から信長毒殺を命じられた遊女の俱尺羅。

五編ともに、男女の愛情が絡んでいる。

タイトルにもなっている「弾正の鷹」は、美しい桔梗が年月をかけて鷹匠になっていくプロセスは興味深かった。

信長は暗殺されていないので、当然すべて失敗に終わり、哀しい最期が痛々しい。

面白いのでさらっと読めてしまうが、やはり長編でないと物足りなさが残る。

 

 

revivel.hatenablog.jp

 

河津桜の本場、河津と熱海への弾丸旅

河津桜の本場、伊豆河津

色が濃いのですねぇ、美しい

念願の河津桜が観られて感動

河津桜と菜の花と電車のコントラストが素敵

見頃の週末だったので、人出は多かったです。

それでも、河津桜並木がとても長いので存分に鑑賞できました。

埼玉から電車を乗り継いで、約3時間半。

河津桜はずっと気になってはいたものの、遠いので諦めていましたが、本当にきれいでした。

河津桜祭りは2/29までです。

 

www.kawazu-onsen.com

 

河津桜並木から徒歩15分ほどのところにある川津来宮神社までてくてく。

写真を撮ろうとしゃがみこんだら、番犬君が寄ってきた

めずらしい親子?の狛犬

樹齢千年以上のご神木「来宮様の大クス」は国の天然記念物

驚くほどの巨木。

大きさがわかるように人を入れてみました。

 

 

お昼ごはんは熱海へ戻って、地元ならではを味わいに。

 

熱海駅近くの「まぐろや」さん

昭和チックで良い雰囲気です。

金目鯛の煮つけにお刺身の定食が1100円!

ここも人気で行列でしたが、待つ甲斐がある定食は是非食べてみてほしい。

お味噌汁は写真ではわからないけれど、アラ汁です。

 

そして次はMOA美術館。

スケールの大きな美術館

熱海湾が一望できる景色

一木造(いちぼくづくり)の仏像

2月は、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」が展示されています。

写真撮り放題というのが、太っ腹。

 

 

熱海は再び人気を集めている観光地ということは聞いていたけれど、若いカップルも多く賑わっていました。

食べ物も美味しいし、温泉も自然もあって大満足の旅となりました。

 

 

今日の歩数:13000歩

 

MOA美術館

「戦の国」を読んで、家康嫌いが確定した

家康ファンの方がいらしたら、すみません。

 

初の作家さんだった冲方丁さんの「戦の国」、とても面白かった。

 

戦国、動乱の55年を駆け抜けた、織田信長上杉謙信明智光秀大谷吉継小早川秀秋豊臣秀頼ら六傑の視点から描く、連作短編集。

どの武将も、これまでとは違った視点で、そうかそうだったのか!と説得力があって、ぐいぐい引き込まれた。

脇役的な存在として知っていた、「大谷吉継」、「小早川秀秋」、「豊臣秀頼」が特に素晴らしかった。

女優の芦田愛菜ちゃんが、一番好きな武将は「大谷吉継」と言うが、何を読んでそう思ったのか。もしかしたら、この「戦の国」の大谷吉継を読んだのではないか。それにしても一番好きな武将が「大谷吉継」だなんて流石だなぁ、芦田愛菜ちゃん。

苦楽を共にした石田三成を、家康と争わせないために何度も説得にあたった。戦友であるからこそ、三成を良く知る大谷吉継は、争えば三成は死ぬと確信していた。「誰が貴様についてくるというのだ」と迫るが、結局、関ケ原へと向かうことになる。病身でありながら、負けるとわかりながら、三成に付いて行き、美しく散っていく。その三成は、ただただ、秀吉が築いた天下を、家康の私利私欲に蝕まれてはならんという思いだけであった。

 

小早川秀秋」は秀吉の養子でありながら、関ケ原で家康に寝返ったことで有名。けれど、秀秋の視点でのお話はあるのだろうか、とても共感できて今までの良くないイメージがすっかり取り払われてしまった。

慶長二年(1597年)、16歳で初陣となる秀秋に、総大将として朝鮮への渡海命令が下される。秀秋は幼少で秀吉の養子となり、寄る辺ないまま何者にもなれず過ごしていた日々を、遠く置き捨てて、朝鮮という地で生まれて初めて自分の力で思う存分、走り抜けることができたのである。この地では、日本人は誰もが異邦人で、自分がそうだったように、ここでは日本人であるというだけで、強い結びつきを感じられた。

そして関ケ原。いろんな思惑や周囲の力関係についても詳細に秀秋の視点で書かれている。秀秋の兵1万五千が欲しい家康を、秀秋は信じて東軍につくことになる。

西軍が押していたはずの戦いが、秀秋の一万五千によって一瞬にして東軍優位に変貌し、西軍は総崩れとなる。

家康は、秀吉の嫡子である「秀頼を守るため」と心にもないことを掲げて、秀吉方の武将たちを味方につけて「関ヶ原合戦」を準備していた。

利用するだけ利用して、加藤清正福島正則も毒殺される。そして関ケ原の後、秀秋は恩賞によって岡山で思いのままに藩政を行っていたが、慶長七年(1602年)に毒殺されてしまった。

そして「豊臣秀頼」については、2022年に「火の国の城」でも書いているが、今回の冲方丁さんのは良かった。タイトルは”黄金児”で、慶長五年(1600年)、数えで8歳から大坂夏の陣で自害する23歳までを秀頼の視点で書かれている。

歴史は勝者が作ると言われているが、「豊臣秀頼」を見事に表現してくれた。

自害した秀頼の骸はついに見つけることはできなかった。

余談であるが、

1980年、大坂城三ノ丸跡の発掘調査で人1人の頭蓋骨と別に首のない2人の骨、馬1頭の頭の骨が発見された。骨は人為的に埋葬されたものとみられ、頭蓋骨は20代男性のもので顎に介錯されたとみられる傷や、左耳に障害があった可能性が確認され、年齢や骨から類推する体格から秀頼のものではないかと推測された。骨は1983年、京都の清凉寺に埋葬された。wikipedia

よくぞ、よくぞ、最後に残った28人の者たち、隠してくれて、ありがとう。

そして、秀頼の妻である千姫は、家康の孫で政略的な婚姻であった。しかし大阪城を脱出した千姫は、秀頼からの書を家康に渡し、秀頼の死を慎み、秀頼は神となり、家康は地に落ちたことを思い知る。

嫌われて当然の家康であったのだ。

 

大坂の陣と言えば、日ノ本一の兵(つわもの)と称えられ、伝説となった真田信繁(幸村)。真田太平記全12巻を読み始めたものの、読み終わってしまうのが勿体なくて4巻を読み終えて止まっている。

 

本書は短編物なのでとても読みやすく面白い。是非読んでみてください。

 

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