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時代小説に夢中

パーキンソン病でも「好きなことをしたい」を叶えられるように

私が担当させていただいているNさんは、30代でパーキンソン病を発症。

若くして難病を抱え、入退院の生活を繰り返してきたため、家族以外の人と関わることがとても怖い。

現在は69歳になる女性だけれど、40代位にしか見えずとても可愛らしい。

近くにお母さん、弟さんが住んで手助けをして独り暮らしをしている。

毎日、看護師さんやヘルパーさんが支援をしている。

パーキンソン病は体が動かなくなってしまうため、日中は動けるようにお薬を調整しているけれど、効いていないときは寝がえりも自分ではできない。

だから、動けるときは好きなお掃除に熱中してしまう。やせているので狭いところに入り込んで抜けられなくなり、そのうち薬が切れてしまい次の日の朝まで動けずにヘルパーさんに発見されるということが数回あった。

今年の夏、またトイレの隙間に挟まって動けなくなり、今度は足にひどい傷が残ってしまった。

何度も注意をされていたのに繰り返して、今回は怪我もしてしまったために、弟さんからかなり叱られ、唯一の楽しみの観葉植物を全部取り上げられてしまった。

看護師さんからは、トイレ使用禁止令が出て、ポータブルトイレ使用を指示された。さすがに今回は反省したようで、拒否していたポータブルトイレを使用するようになって、トイレ以外の掃除だけを楽しみに過ごして2か月が過ぎた。

通院は近くの専門医へ、月に1回弟さんが車で送迎していたが、弟さんが通院の支援に限界を感じて、往診に切り替えることになった。

そこで利用者さんについての定期的に開催している会議が開かれた。

2か月間、あんなに嫌がっていたポータブルトイレもちゃんと使って落ち着いて暮らしている彼女に、何とか観葉植物を戻してほしい私は、事前に弟さんにお願いして「ひとつくらいなら構わない」と承諾を得ていた。

会議の場でNさんに喜んでもらえると思っていた。ところが、看護師さんからいとも簡単に却下。観葉植物を置くことで、陽に当てようとベランダへ出ようとしたら危険だと言うのだ。彼女は必死に、「陽に当てなくて大丈夫なのでいいから」と訴える。しかし、また怪我をしたらどうする、今の怪我も治りが悪くて骨髄炎になるかもしれなかったところなのに、施設に入ることになっても良いのか?世話のない造花にしたら良いと。

訪問看護のすべてがこんなに病院色が強いわけではない。在宅と言う場で、本人の望む暮らしを少しでも支援したいという看護師さんも多いけれど、とても残念で彼女をどう励ましたらよいのだ。

怪我が治ったら置いてもらえるように、早く怪我を治そうねと言うしかなかった。

自分の家なのに、好きな観葉植物のひとつさえ置かせてもらえないなんて、私の気持ちが収まらなくて。この仕事をしていると良く遭遇するジレンマだ。

 

翌日、初めての往診があったので立ち会った。

すると、部屋に入るなり先生は「あれ?観葉植物は?」と。

外来受診していた時に、彼女は好きな観葉植物のことを話していたのだ。

大チャンス。

先生にこれまでの事情を説明した。

先生は、「転倒も大事だけど、心の拠り所も大切だよ。」と。看護師さんに話しておきますって。

実現できるかどうかはわからないけれど、何て素敵な先生なんだ。

 

何もなければ月に1回の訪問なので、それから1か月後、訪問した。

 

彼女の元に帰ってきた、ベンジャミン

「枯れてなかった」と彼女。

弟さんはちゃんと面倒を見てくれていたのだ。

看護師さんはまだダメだと言っているらしい。知るもんか。

 

そして唐突に

「人生は短い」と。

「できることをしたい」と。

その通りだ、何もしてあげられないけれど、それを実現できるように寄り添っていきたい。