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時代小説に夢中

負けず嫌いが人生の転機になった話し①

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看護師だったころ

看護師として総合病院に勤務して、救急外来や病棟の夜勤で死ぬかと思うほどの忙しさに疲れ果てていた日々。

どれくらい忙しいかと言うと、当時の配属された病棟が「内科」「新生児」「産婦人科」の混合病棟。

内科、新生児は重傷者も抱えている地域の病院で、婦人科の重傷者と出産もある。体制は3交代で、夜勤は看護師2名と助産師1名。看護師2名は新生児担当と内科担当。

 

過酷な状態に体調不良で看護師の休みがでて、私の勤務が「深夜勤」「深夜勤」「深夜勤」「準夜勤」「準夜勤」の5日連続の夜勤。通常は3日目に休みが入るのであるが、どうにもならない。

その3日目の深夜勤(0:30~8:30)の8時間に、出産が3件と重傷者の急変でお亡くなりと、出産で新たに新生児3人の産湯だったり処置があり、何が何だか駆けずり回り、日勤者が来るまで、たった3人でどうしたら終われたのか今でも怖くなる。(救いはメンバーが良かった!)記録類は一切手を付けていないので、日勤者に申し送りをした後に帰りたくても帰れない。眠らず食べれず休憩なしで記録が終わったのはお昼過ぎ。あと2日も夜勤がある、このままでは仕事に殺されるよ・・

5日間の夜勤は足をもつれさせながら何とかやりとげたけど。

有給消化なんて1日もできずに数か月後に退職という道を選んだ。(逃げ出した)

障がい者施設で看護師として勤務

 もう少しゆったり仕事ができればと、深く考えずに通勤距離とか休みを重視して施設を選んだ。

 施設では、介護スタッフが主となって看護師はオマケのような存在。

やることと言ったら、週1回の医師の回診のお供と、お薬の仕分けと、浣腸*1と、ちょっとした処置と、食事のお手伝いなど。

確かにゆったりを選んだけれど、えーと、最新医療機器を使いこなしたり、処置を手早くこなしていた私は・・・と、

勝手なもので『こんな単調で続けられるだろうか』とよぎってしまった。

入社した時に看護師は1名いて、大学病院の看護師長を定年退職したとかで、気位が高くずっと机に座っていた。

処置をしても時間を持て余すし、氷のような看護師と2人で看護室にいても話すことに困るし。

で、食事を自分で食べられない人のお手伝いとかをしていると、それは珍しかったみたい。

介護スタッフと看護師との壁は何なんだろうと感じていて、徐々にわかってきたことは、それまでの看護師は処置など用がある以外は関わらなかったみたい。

脊髄小脳変性症という難病で50代で寝たきりの男性と出会う

父と同じ年だったそのKさんは、働き盛りに難病を発症して徐々に動けなくなって首から下はまったく動かない。中途障がいの場合、こころのケアが本当に難しくて、とてもとても荒れていた。経験の浅い女性介護スタッフはみんな泣かされて。

出会ったとき、Kさんは施設に入所して1年くらいだった。初めて個室のKさんに挨拶に行って返ってきたのは、

「動物園みたいでびっくりしただろう。この前の看護師は1週間もたなかったわ。どうせあんたも1週間もたずに辞めて行くわ。」

いきなりのパンチ!

何も言い返せずに部屋を出たんだと思うけれど。

 

内心は

何だとーーー!?

絶対ギャフンと言わせてやる!!

 

 負けず嫌いに火がついてしまったのである。

つづく

*1:麻痺などで自分の力で排泄ができないため大切なお仕事

 

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