前回のお話はこちらです。
ギャフンと言わせるために
実際にギャフンという人はいないらしいけど・・・
『1週間で辞める』と言われた私は、次の日から毎朝1番に満面の笑みでKさんの部屋へ挨拶に行った。
と言っても、また何を言われるだろうと緊張MAX。
ドアをノックする前に深く深呼吸をして、「よし!」と自分に喝を入れないと入れなかった。
Kさんは首から下に麻痺があり、首から上は動き認知機能も問題がない。
用があるときは、首を動かして特殊なナースコール*1に顔を触れてスタッフを呼びます。
床ずれ*2予防のために体中のあちこちに、大中小のタオルを巻いたものを10個くらい当てていた。2時間おきにそのタオルたちを変えて同じ場所が圧迫されないようにする。
その、タオルの場所が!
たった5mmずれても「もっと上!」「もっと下!」と、正確さを求められる。
(心の声)絶対に覚えてやるーーっ!!!
と、心に誓った私は、来る日も来る日もタオルさんたちの居心地の良い場所探し。
1か月くらい経ったころからか、怒鳴られることがなくなった。
Kさんに変化が現れる
いつも怒鳴って、怖い顔をしていたKさんが
笑うようになったのだ。
すごく良い笑顔。
そして、介護スタッフを怒鳴ることもなくなっていった。
「○○ちゃん、○○ちゃん」
下の名前で私を呼ぶようになり、自分の部屋から出ることがなかったのに、リクライニングの車いすに乗せてもらってみんなのいるホールに出てくるようになった。
スタッフに囲まれて笑っているKさんの姿は、私に大きな影響を与えてくれました。(5年後に永眠)
私の進む道
施設での看護師の役割は、医療面の支援である。
障がい者施設の介護スタッフは、本当にプロフェッショナルで驚くことばかり。
150cm程度の小柄な女の子が自分より大きな男性をひょいと車いすへ乗せる技は、まるでマジックのよう。
朝昼晩の1日3回は必ず車いすに乗せて、ベットに寝かせたままにしない。
一人一人の支援について、熱いミーティングも感心するばかり。
こころのケアについて、当時は専門的な知識もなく、ただただ負けず嫌いが功を奏しただけであったけれど。
Kさんとの関りは自分にとってかけがえのないものになっていた。
看護師としては物足りなさもあった中、いつしか病院へ戻る気持ちはなくなっていた。
最前線、第一線でがんばる看護師さんは私の他にたくさん居る。
おわりに
Kさんと出会ったおかげで、その後は精神科を経験し、eラーニングで心理学を学んだりスキルアップの機会を持つ事ができた。
1年修了時に頂いた、心理学の先生からの言葉を忘れないようにしている。
「仕事の内容に対して報酬は低いが、1番の報酬は、人として生涯成長し続けられることです。」
1ミクロンずつでもいいから成長し続けたいものです。