とにかく、まいりました。
脳なのか、心なのか、後遺症だ。
ヒリヒリ、痛い。
朝倉かすみ、何もの?
この「平場の月」は、山本周五郎賞を受賞していて、直木賞候補にもなっていた。
久しぶりに時代小説以外を読もうとしたのは、先輩ブロガーのくーさまが紹介していて、「かなりよかったよ。」と感想があったからだ。相当な読書量のお方が「かなりよかったよ」って、これは読まないと。
向田邦子を初めて読んだときにも、「何なんだ、向田邦子。」と、それまで読んできたものとは違う、小説の面白さを感じたけれど。
「平場の月」は、何日たっても心がヒリヒリ、ヒリヒリ、読み終わってからが涙が止まらない。
離婚を経験し、50歳を過ぎて、初恋の人と再会した青砥健将と須藤葉子の物語。
「青砥」、「須藤」、と苗字で呼び合う二人。
平場で地味に暮らす二人で、盛り上がりがあるわけでもなく、淡々と物語は進む。
冒頭で結末は分かっているのに、先が気になって、二人が切なくて、愛おしくて、どうにかしてくれ。
朝倉かすみに完全にやられました。
あらすじ
朝霞、新座、志木ー。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れるー。
心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる悲しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。
ここから、ネタバレあります。
50歳も過ぎると、人に言えない過去や傷のひとつやふたつ、誰でも持って生きている。
そして、病気も出てくる。
大人の恋愛は若い頃のようにはいかない。
相手への配慮とか、好きな気持ちだけで前に進むことはできない。
それでも、最期に、「合わせる顔がないんだよ」って、須藤、そりゃないよ。
須藤がどんな状態でも、どんな過去があろうと、ストーマがあろうが、青砥のなかで須藤の値段は下がらないんだ。
最期に、一緒に居てほしかっただろうに。
最期に、一緒に居たかっただろうに。
絶対だと思っていた愛情を、失った経験をしたものは、こわくて飛び込めないんだよ。
青砥、須藤の言った言葉があるから、胸を張って生きていけるかな。
「胸を張れよ、青砥」
「簡単だよ。貝殻骨をくっつければいいんだ」
青砥が、須藤の次の定期健診で寛解を信じて、「来年、3月」を口癖に過ごすところから、落語の「幾世餅」の噺があった。
それも素敵な噺で、朝倉かすみのお陰で落語にも興味を持ってしまった。
もう10日前から書き始めたのに、書こうとすると泣けてしまって、自分でも信じられない。
朝倉かすみ著「田村はまだか」は、吉川英治文学新人賞作品であるが、解説で選評が紹介されていた。
その中からひとつ、
大沢在昌「心の内側のヒダを爪でひっかいてくるような感触があり、それが不快ではない。作者独特の才能と言えるだろう。」
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