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時代小説に夢中

鹿児島へ散骨に行ってきた

上空から、夏の富士山

 

先日、ネットの記事が目に留まった。

高度経済成長の真っ只中、日本の音楽シーンの頂点に君臨した孤高のアイドル、ジュリーこと沢田研二の記事。

妻である田中裕子との仲睦まじい様子だった。

スーパースターは短命だ。マリリン・モンローエルヴィス・プレスリーマイケル・ジャクソンetc

不特定多数の視線を常に浴び続ける人生は、尋常じゃない不安とストレスであろう。

沢田研二は酒に溺れることなく、クスリなど必要としない。その依存することのない日常は、かけがえのないパートナーの田中裕子の存在があるからなのだ。

 

胸の奥にストンと落ちた。

 

かけがえのないパートナーを得ている人は幸せだ。

もしかしたら、それに気づかないで過ごしている人もいるかもしれない。

 

始まりは見た目がタイプだったとか、話が合ったとか、高収入だったとか、体裁とか、条件が良かったとか、いろいろだろうけれど。

何気ない日常の積み重ねの先に、別離の道か、仮面夫婦になるか、かけがえのないパートナーになるのか・・

日常には、悲しみや苦しみや辛いことがたくさんあって、そんな時に、美人とかイケメンとか太ってるとか痩せてるとか高収入とか資産があるとか、何の役にも立たない。

条件が幸せなのだとしたら、世の有名人やセレブ達は何度も離婚を繰り返さないだろう。

どんなことがあっても、そのパートナーが居るだけで何の不安もない、損得なしのそんなかけがえのないパートナー。

 

生きているうちに、あなたの隣にいるパートナーを大切にしてほしい。

 

鹿児島空港から

散骨は簡単なルールを守れば違法ではなく、自分でできる。

散骨@マガジン

 

昔、義父の遺言で、遺骨の一部を生まれ育った郷里の海へ、夫と散骨をしてきたことを思い出した。

 

夫を亡くして3年が過ぎ、中途半端に残された自分の人生をやっと考えられるようになった。

父親の眠る、鹿児島の海へ帰してあげることが最善だと。

いつ、自分もあっけなく終わってしまうかもしれないし、生きているうちに役目を果たしておこうと。

あとは自分の最期だけ心配すればいい。

 

限られた残りの人生、前向きに暮らしていくためのセレモニーだ。

 

自分が居なくなった後、墓守や手元に残った遺骨などを継いでくれる者が居ないので、少しずつやれることをやっておきたい。

残された人にやさしい部屋にしたいと、「平場の月」の須藤も言っていたっけ。

 

義父が亡くなったあと、片付けに通った。

義母は早くに亡くなっていたので、面識はなかった。

新聞の領収書さえ何十年分も残してある状況で、どこから手を付けて良いかわからなかった。そして、タンスの中には、先に亡くなった義母の下着までそのまま残されていた。娘が居たら、面識もない嫁に下着を見られることもなかったろうに。

その時から、残すものを気にするようになったと思う。

 

 

ちなみに、風水では、遺骨を自宅に置くのは良くない事とされていますが、良い方角に置くなどすれば問題ないそうです。

 

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