織田信長が天下をとって琵琶湖畔に築城された「安土城」は、信長の終わりと共に焼失し、幻の城と言われる。
当時としては考えられない巨大な安土城は、日本史上、はじめて高層の天守を持ち、城全体が高石垣で覆われた石の要塞であった。
しかし、期間が10年と短く、資料がほとんど残っていないために幻と言われた。それでも、当時の城を観覧した宣教師が記録を残していたため、絢爛豪華な姿は、遠くヨーロッパにまで伝わっているという。
お城などを観ると、昔の人は巨大な石をどうやって運んで積み上げたのだろうと思っても、想像することは難しかった。
それを山本兼一さんは、「火天の城」で築城のすべてを見事に書きあげている。
主人公は信長に安土城築城を命じられた大工棟梁の岡部又右衛門と、熟練の大工や石垣職人など匠たち。その命がけの仕事ぶりは、築城のすべてが目に浮かぶ臨場感だ。
無謀な命令、難題に、多くの職人たちが命を落とす。当時の築城は、まさに戦のような凄まじさで、傲慢な信長に嫌気がさしてくる。
蛇石(じゃいし)という巨石を山頂まで運び上げる難題に、石工頭が言う。「石は五百貫(1.9トン)あれば、百人持ちと申します。三万貫のあの石なら、六千人。山を登らせるとなれば、その倍。いったん動かせば、途中で止めることはできませぬゆえ、昼夜をわかたず交代の人足が、さらに、その倍はいりましょう」
ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆」はその後、全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった。Wikipedia
城に使われる材料についても、非常に細かく書かれている。城を支える特別な檜の柱は「太さ一尺五寸角、長さ八間」で、日本国中探しても見つからない貴重な檜なのだ。一尺五寸角と言われてもピンとこないけれど、樹齢2500年の御神木を使うのだ。その神聖な巨木を、木曽の山から運搬する場面は、手に汗握るシーンでハイライトとなっている。
そして、大工棟梁である岡部又右衛門の息子が、番匠として成長する姿も読みごたえがある。
織田信長に嫌気がさして、もう織田信長はお腹いっぱいだなぁと読み進めていたが、ラストにきてそれも変わっていった。
高層の木造建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが多くの日本建築の特徴だが、安土城天主の礎石は中央部の1つだけが欠けているという。
その理由を、山本さんは独自の視点で書かれていて、「さすが、織田信長」と思わせてくれたのだ。
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