revivel~毎日が現実逃避~

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田辺聖子さんに救われて、誰かを笑顔にしていける大人に近づきたい

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

「大人」を調べてみると。

「大人」は基本的には成長した人、ということであるが、単に年齢や身体の状態だけに着目して言うのか、精神状態にも着目するのか、という違いによって「大人」の意味内容が異なることになる。

「大人らしい」「大人っぽい」と言うと、精神状態や「ものの見方」が大人になっている、という意味である。「子供くさい」や「子供っぽい」と対比的に用いられる。Wikipediaより

 

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私は一親等を亡くした経験がなかった。

早い時期に親を亡くした経験をしている友人などがいたので、私は幸せなのだと思っていた。しかし、昨年とうとう一番近かった夫を亡くすという経験をして、私は私ではなくなったという感覚がある。これがちょっとは大人になったということなのではないかと言う気がしている。

 

どう「大人」なのだ?と問われると難しいが、イライラしたり怒るという感情が無くなってしまったみたい。かと言って、どうでも良いと言うことでもなくて、大阪風に言えば「ぼちぼちいこか」的か。

 

<ただしいこと>はやめて<たのしいこと>だけ、しようと思う。

これは、田辺聖子さんの言葉。

この意味が分かるようになったのも、少しは大人になったからかもしれない。

 

夫の長い闘病生活中に苦しかった時も、田辺聖子さんの言葉に救われた。

いささかは、苦労しましたといいたいが 苦労が聞いたら怒りよるやろ

 

 

昔は3世代4世代同居が多かったので、おそらく小さいころから祖父母などの「死」を近くで経験する人が多かったはずである。一緒に暮らしていた人が居なくなるという経験をしている人間は、自然に「大人」になるのではないかと最近になって良く考える。核家族では祖父母が亡くなっても親戚の「死」であり、一緒に暮らしている人が居なくなるという感覚はわからない。だから、人生初めて一緒に暮らしている人を亡くすという経験は、現代人の場合、特殊な場合以外では生涯に1度くらいかもしれない。

 

恋やつれ 人生やつれを 重ねきて

生きすれゆけば 世も面白し 

田辺聖子さんの エッセイ本「あめんぼに夕立」の”生きすれる”で、手帳に書きつけた戯れ歌だと仰っている短歌。

田辺聖子さんは、「生前うんと優しくした人は、死なれても泣かない」と言ったことがあり、それは、<生きすれる>ってことではないかと述べている。

 

そうなのだ、私は優しくできなかったことが悔やまれて悔やまれて泣き続けていたのである。<ただしい>ことばかりにとらわれて、笑って過ごすことができなかった。

 

私はやっと「大人」の入り口に立ったところだろうか。

 

人生の意義は、まあ、いろいろあろうけれど、自分が何回、笑顔になったか、ヒトの笑顔をどれ程見たかで、充実感がはかられる、そんなところがある。「ほのかに白粉の匂い」田辺聖子著より

 

そして、こうも言っている。

「愛された記憶」は人を支える。

(私はこんなに愛されたのだ)という記憶が、のちに人を救う。

「星を撒く」田辺聖子著より

 

人を救うなんて憚れるが、そうしていける「大人」に近づけるようになりたいと、【今週のお題】をきっかけにしみじみ思うのだった。

 

 

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