revival

時代小説に夢中

手元に置きたい1冊「茨木のり子詩集」

読書で現実逃避

読書で現実逃避
 
先日amazonで、初めて!
Kindle版を購入してしまった。
かねてから、「紙をめくらずして本が読めるかーー!」と口には出さないが心の声が叫んでいたのにだ。

 

 
 
どうしてもすぐ読みたくて購入してしまった。
ポチしたらすぐ読めて
マーカーなんてのも付けられて
思いのほか便利でした。
 
でも、どうしても手に取ってめくって読みたい本がある。
 
この「茨木のり子詩集」もそうである。
 
 
ネットからの情報では、追悼特集が組まれた雑誌の広告には
『倚りかからず』が全文掲載され
 
その見出しは、
「これほど見事な日本語はない」
だったそうです。
 
千夜千冊の松岡正剛さんは次のように仰っている。
茨木にときおり出入りする「怒りが香る」ということ、あるいは「香りつつ怒る」ということに惹かれてきた。怒りそのものでもなく香りばかりでなく、「いかり」と「かおり」が混ざっている。重なっている。分けられない。ぶれないとしたら、そこなのだ。
 
 
 
何と言ったらいいのか
こころを掴まれるというか
はっ!とさせられるというか
ドキドキしてしまう言葉たち
 
 
 
 
茨木のり子詩集」からひとつ
 
自分の感受性くらい
 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
 
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
 
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
 
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
 
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
 
引用元:岩波文庫茨木のり子詩集 」より
茨木のり子さんは、在学中に空襲や勤労動員を体験し、19歳で終戦を迎えています。
自身に向かっての言葉だと思うけれど、はっ!とさせられます。
 
 
真面目にがんばっていても
どうしようもない苦しみが待ち受けていることがある。
 
 
苦しくて苦しくて
考えてはいけないことばかりを考えてしまい、ゲームに逃げていた時期があります。
今もそうは変わらないけれど
 
プライドを捨てずに生きていられるのは
本との出会いが大きい。
 
 
  
もうひとつ「倚りかからず」から
 
苦しみの日々 哀しみの日々
 
苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど
 
 
さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと
 
 
少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
    (わからないよりはいいだろう)
 
 
苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである
 
 
受け止めるしかない
折々の小さな刺(とげ)や 病(やまい)でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから
 
 
引用元:筑摩書房「倚りかからず」より