revival

時代小説に夢中

田辺聖子「文車日記」を読んで気分は平安へ

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今日は、大好きな田辺聖子さんの数ある作品の中から「文車日記(ふぐるま日記)」の紹介。
 
田辺聖子作品はとにかく大好きで、文庫本を被り買いをしてしまうということが続いて、一時期はエクセルで一覧表を作ったりしていた。
最初は恋愛小説から始まったのだけれど・・
言っておきますが、田辺聖子の恋愛ものはそんじょそこらのものとは違います。
何十年経った今でも色褪せず、読まれつづけているのだ。
 
田辺聖子作品をすべて読みつくそうと、エッセイへ、源氏物語へ・・
で、「文車日記」と出会う。
古典はまったくの無知であった私が、それ以来すっかり古典のとりこになってしまった。
 
ある専門分野を学びたくて、仕事をしながらeラーニングで単位をとった時に、専門以外の科目は古典を選んでいた。
(楽しむだけでまったく知識として残っていないところが残念)
 
わかりやすく言うと、67編の古典の名作案内。
それが、田辺聖子さんにかかったら、優しい語り口と鮮やかな文章で表現された物語は、登場人物の息吹まで感じられて一気に平安時代にタイムスリップしてしまう。
(まさに現実逃避にもってこい)
 
67編のうちの、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」でイザナギイザナミが登場。
イザナミは火の神を生んだために焼け死に、イザナギはあきらめきれず死者の国へあとを追ってゆく。
そのあとは・・読んでください。
 
とにかく心ときめく一冊となって、何度も読み返していました。
久しぶりに引っ張り出してみたら、折り目がついていたところが2か所あった。
ひとつは、木曽義仲巴御前が登場の「男の友情」。
 
鎌倉勢に追われ、ついに主従5騎になったときにも巴は義仲を守って残っていた。しかし、死の覚悟を決めた義仲は巴を去らせる。
”義仲にとっては巴を去らせることが、最大の愛情だったのでしょう。けれども、巴は、義仲とともに死にたかったのです。”「文車日記」P34より
 
乳兄弟である四郎の最期も壮絶です。
どう壮絶なのか・・読んでください。
 
もうひとつの折り目がついていたのは「大君のみ盾」。
飛鳥時代の589年に起きた物部守屋の変ともいう丁未の乱(ていびのらん)のお話し。
物部・蘇我の二大豪族の一大決戦。
物部の従者で萬(よろず)という勇士は、首長の守屋が殺され軍は大敗したが、ただ一騎で最後まで戦い抜こうと決心する。
しかし、勝った蘇我氏天皇軍となったため、萬は逆臣にほかならなくなった。
萬は、「天皇のために戦ってきたのに、なぜ天皇の軍に殺されるのだ。そのわけを教えてくれ。」と絶叫し、みずから短剣で自決した。
そして、昭和11年2月26日(2・26事件)、「尊皇討奸(そんのうとうかん)」の旗をかかげた陸軍青年将校たちは、反乱者としてただちに処刑された。「天皇陛下万歳」と叫びつつ銃殺された彼らは、萬の末裔たちだったという。
 
物部・蘇我の一大決戦の地となった場所が、今の大阪の八尾・東大阪とあるのだけれど、田辺聖子作品を読みあさっていた当時、私はその近辺に暮らしていた。
それもあってなのか、とても身近に感じたのかもしれない。
 
どれだけ良い本なのかを伝えるには、文章力のない私では足りないので、レビューをちょっと紹介します。
 
<レビュー>
  • 建礼門院右京大夫集を描いた「さめやらぬ夢」の章は平家一門の最期と先の大戦を重ね合わせ、深い文芸の味わいとともに鎮魂の抒情を歌い上げる傑作。
  • 受験前にこの本と出会っていたら、大学は国文科を選んでいたかもしれない。
  • 特に女性に関する考察は秀逸で、男では気づかないような指摘に驚くこともしばしばだった。 etc..

 

文車日記 (新潮文庫)

文車日記 (新潮文庫)